名古屋市瑞穂区 40才からのたるみ改善サロン
しろぎぬ名古屋の すみやのりこです
40歳以上のたるみにお悩みの方は
ラインからお気軽にお声がけ下さい。
「ほうれい線が酷すぎて外にでたくない」
「今度子どもが入学式だから緊急にたるみをなんとかしたい」
お気軽にどうぞ、って言っても
ひょっとして難しいかもですが、
「文章そのままのやわらかい人柄で安心した」と
お会いした方には言われるので、怖くないですよ。
さて、今日は私の過去についてのお話です。
「すみやさんは何かを隠している」
「もっとさらけ出してみたらいい」
こんなことをこの頃よく言われます。
オレ、何にも隠してねーし!と思ったのですが
最近自分の人生を棚卸するワークをして
俯瞰してみてみたところ。
結構私ってば
波乱万丈な人生歩んできたなと思いました。
今がけっこう幸せなので、すっかり忘れていました。
ちょっとばかり重い部分もあるかもしれませんが、
断じて今回のネタは
「私、かわいそうでしょ商法」などではなく。
そんな過去があってもニンゲンって結構幸せになれるんだな、と
そんな風にちょっとでも思っていただけたら
私も嬉しく思います。
よし、では張り切ってまいりましょう。
超ロングなブログですよ。
それなのに第二部まである予定なので
どうか力を抜いてお読みください。
私は愛知県碧南市という海辺の田舎街で
幼い頃の火事でからだに後天的な障害を持つことになった母と、
両親と兄を早くに亡くして天涯孤独だった父のもとに、
昭和56年(1981年)三姉妹の中間子として生まれました。
もうちょっと詳しく両親について話すと、
身体の障害と極度の心配性と
コンプレックスを抱えて不安定な母。
幼少期からの家庭環境が原因で
対人関係に大きなトラブルを抱えている父。
(父は10年以上前に亡くなっています)
父は仕事を転々として、
途中自分で事業を始めるも倒産。
仕事に行くふりをしてギャンブルにはまり
借金を返せなくなって借金取りが家に来る日々。
さらに父は暴力暴言も繰り返します。
男性は殴る乱暴な生き物だと
私はずっと本気で思っていたのですが
そうじゃないことを知ったのは大人になってからです。
父は糖尿病になり鬱になり、
家の中で自殺未遂を繰り返すので
警察を何度も呼ぶはめになりました。
ご近所から相当ヤバい家だと思われていたでしょう。
それもとても嫌だったし、恥ずかしかったです。
そんな環境だったので
私はとにかく怖くていつでも不安でした。
誰のことも信用できないし頼れないしで
心も肌も身体も荒れ放題でした。
両親はケンカばかりで
おそらく収入も不安定でしたので、
母は私を相談役にしてその愚痴を吐きます。
私は子どもの頃から愚痴の聞き役でした。
父はいきなりキレ出すので
それを防ぐためにおとなしく気配を消すようにしていました。
どこかでケンカが始まりそうになったら
楽しい雰囲気を醸し出せるような
なにかしらアクションを起こす技も習得しました。
そんな風に家庭内で気を配る子どもでしたので
それは大きなストレスになっていたのでしょう。
小学生からアトピーと
いつ発生するか分からない腹痛と下痢に悩まされていました。
修学旅行や遠足はいつもトイレが大丈夫か不安なので
私にとってあまり楽しめる行事ではありませんでした。
電車も途中で降りることが何度もありましたので
目的地に時間通りにたどり着くのが大変でした。
下痢止めの薬をいつも飲んで対応していましたが、
結局家を出るまでその症状は治りませんでした。
中学生の頃から家庭内が本格的に荒れだして、
高校生の頃には父が無職で常に家にいて
家族みな喋らず騒がず、父を怒らせないように。
完全にアウトな状態でした。
私はそんな家に帰りたくなさ過ぎたので
学校に禁止されていたアルバイトをしまくっていました。
彼氏ができたら依存して、泊めてくれる友達の家に行き。
それがまた両親の怒りを呼び、さらに大変なことになります。
だから家族にバレないように
夜にこっそりお風呂場の窓から抜け出して。
田舎なのでどこにも行くところがなくて
恐ろしい夜の公園とか友達の家に行って
朝方お風呂場の窓から帰ってくる。
そんな不良な生活をしていました。
よく危ない目に合わなかったものです。
元来気弱な性格なので犯罪をおかすことはなく
見た目はグレてなくて普通に地味でした。
ただただ家にいるのがイヤでした。
怖くて安心できない家。誰も助けてくれない家。
そういえば家は散らかり放題でしたので
それも恥ずかしくて、嫌でたまりませんでした。
そんな幼少期を過ごしてきた私は
完全に人間不信になっていたので
無事に家を出たら出たで、対人関係でのトラブルを
どこに行っても引き起こしていました。
友だちとケンカをするのは
当たり前だと思い込んでいたので、
いやになるといきなり友達にキレてました。
そんな風にしてると、当然嫌われます。
本当に困った人物でしたので、
みんな離れていき、誰も周りに残りませんでした。
それはとても寂しかったのですが
他に方法を知らなかったので、
自分は嫌われてしまうのは
仕方のない事だと諦めていました。
高校を何とか卒業し、
朝から晩まで、晩から朝まで
ひたすら昼夜逆転のアルバイト生活を送って
信頼できる女友だちと二人暮らしをして
自堕落なフリーター生活をして
縛られずに楽しいと思える時間もありましたが、
その生活も私のせいで友達を傷つけて
たった2年で終わりを迎えました。
だれも私を助けてくれないし、
こんな私に明るい未来なんて来ないし、
このままもういつ死んでもいいやと本気で思っていました。
まさにどん底。
この時が私の人生で一番落ちている時でした。
そんな日々を送っている所に
エステティシャンの仕事と出会います。
ここまでがエステティシャンになる前までの
約24年間の私の歴史です。
いやはや、じめっと暗くて申し訳ありません。
なるべく客観的に分かりやすく書いたつもりですが
自分のことになるとどうにも難しいですね。
大丈夫ですか?肩の力をどうぞ抜いてくださいよ。
後半はもうちょっと明るくなるのでご安心ください。